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あゆみ

2018.03.02

城下町の風情漂う鹿野町

鳥の劇場が活動の拠点とする鳥取市鹿野町は、400年の時を超え、史跡や町並みから戦国ロマンを感じる小さな城下町です。

鹿野町は「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったとされる戦国時代の武将、山中鹿介の墓碑があることで知られています。山中鹿介は、天正9年(1581年)10月、戦国時代末期に鹿野城主となった亀井武蔵守茲矩(かめいむさしのかみこれのり)の義父であり、墓所のある幸盛寺は、茲矩が鹿介の菩提を弔うために建てました。

茲矩が鹿野城主となり、二代目政矩(まさのり)が津和野へ国替えとなるまで、戦乱を乗り越えながら、わずか37年で築き上げられた小さな城下町が鹿野です。武家屋敷のあった殿町、商人が住んだ上町、下町、鍛冶町、大工町などの町割や、町を巡る水路が400年以上たった今も残っており、当時の町並みが美しく保存されています。町に残る古い建物は、ほとんどが江戸末期から明治時代に、釘を使わない「木組み」で建てられたもので、京都の宮大工から伝えられた「京風千本格子」も多く残り、堀に囲まれた鹿野城跡は、約500本のソメイヨシノが咲く桜の名所として親しまれています。

2年に一度、春に行われる鹿野まつり(城山神社祭礼行事)は鳥取県の無形民俗文化財に指定される伝統ある祭礼で、榊、のぼりさし(武者行列)、獅子舞、そして各町内にある4台の山車、御輿が城下を練り歩く御幸行列を見るために、県内外からも大勢の観光客が訪れます。旧鹿野町は2004年に鳥取市に編入され、鳥取市鹿野町として、美しい町並みを保存するため、地域住民も参加したまちづくりが積極的に進められています。

そんな城下町の一角にあったのが、旧鹿野小学校と旧鹿野幼稚園です。鳥取市から廃校となった小学校の体育館と幼稚園の教室を借り受けた鳥の劇場が恒常的な稽古場や舞台を備えた劇場施設に改修し、2006年から演劇活動の拠点としています。

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