島倉千代子が唄ってヒットした歌謡曲「からたち日記」の由来は……。
大正時代の華族の令嬢と運転手の心中事件に材をとった、講釈師たちによる悲恋の物語。三人の登場人物によって語られる「からたち日記」の誕生秘話には、恋を生きた女の情熱と哀しさが託されている。
チンドン太鼓とクラリネットの調べが哀しい。
原作:鹿沢信夫 演出:鈴木忠志
出演:SCOT
スタッフ:SCOT
『「からたち日記」由来』の試み
一軒の古ぼけた家に三人の家族が住んでいる。三人は昔、チンドン屋で生計を立てていたが、今や母親は発狂、息子と伯父はその母親の世話をする毎日である。母親はチンドン屋として活躍していた頃の演奏と、その音楽に合わせて観客に聞かせていた講談『「からたち日記」由来』を忘れることができず、毎日一度は、狂ったように「からたち日記」という流行歌を歌い、その作品の由来を語りつづける。
実際の戯曲では、ただ一人の講釈師が、昭和の時代に流行った歌「からたち日記」の歌詞が、誰によって書かれたのかを語るだけである。上記のようなシチュエーションと人間関係を舞台上に設定したのは、演出上の私の発想である。
この戯曲の主人公が歌う「からたち日記」とは、次のような恋愛の歌詞になっている。「心で好きとさけんでも、口ではいえず、ただあの人と、小さなかさをかたむけた、あの日は雨、雨の小径に白いほのかな、からたち、からたち、からたちの花」。
作者によれば、この歌詞自体は実在の一人の女性によって、すでに大正時代に書かれていた。その実在の人物とは、第二次大戦終了まで存在した、天皇に政治上のアドヴァイスをする貴族を中心とした合議機関=枢密院の副議長、芳川顕正伯爵の娘、芳川鎌子だとされている。
鎌子は、結婚して一人の子供を生んだ。しかし、夫との家庭生活に不満を感じた彼女は、芳川家の専属の運転手と恋愛関係になってしまう。二人は列車に飛び込み死のうとするのだが、芳川鎌子は生き残る。その彼女が出家して書いたのが「からたち日記」の歌詞だというのである。
芳川鎌子の心中事件は実際にあったことである。しかし、彼女は出家などせずに、事件後には再び結婚し、29歳の若さで病気により死んでいる。また、この戯曲に書かれている時代背景は、歴史的な事実関係としては、随所に辻褄の合わないところがある。だからこの戯曲は、芳川鎌子という実在の女性をネタに、一人の人間が妄想した記録に近いと言えるかもしれない。
むろん、ギリシャ悲劇でもシェイクスピアの戯曲でも、それらしい事実を材料にした妄想だと言えないこともない。それらの西洋の作品に比べれば、『「からたち日記」由来』に表出されている妄想の世界は小さい。しかし、この戯曲には、通俗音楽として一部の人々に蔑視されてきた歌謡曲が、なぜ日本の女性の不幸や寂しい願いごとを歌詞にして大衆に愛されてきたのか、その歌謡曲に思いを託す以外に行き場所のない心情が、よく描かれていると思えたので、冒頭に記した仕掛けを舞台上にほどこし、上演することにした。
2014年、『「からたち日記」由来』初演の演出ノート
鈴木忠志
1939年静岡県清水市生まれ。1966年劇団SCOTを創立。1976年富山県利賀村に本拠地を移し、合掌造りの民家を劇場に改造して活動。利賀村は「世界の演劇の聖地」として知られるようになった。俳優優訓練法スズキ・トレーニング・メソッドはモスクワ芸術座やニューヨークのジュリアード音楽院など世界各国の劇団や学校で学ばれている。
公益財団法人利賀文化会議理事長。シアター・オリンピックス国際委員。日中韓3カ国共同の演劇祭「BeSeTo演劇祭」の創設者。
フランスから芸術文化勲章、ロシアからスタニスラフスキー賞を受賞。ユネスコの国際演劇協会と国際演劇評論家協会からの賞を受賞。